日本バトリング協会 Nippon battling soc. サンライズ サンライズワールド
海のトリトン/闇夜の時代劇 日本バトリング協会 > 監督担当 > 富野監督担当 > 監督紹介 富野由悠季総監督(1989年頃)
 日本バトリング協会富野監督担当 監督紹介
富野由悠季(富野喜幸)監督の経歴です。
富野由悠季
富野由悠季総監督(ポケモン問題検証報告番組[テレビ東京])
富野由悠季総監督
ポケモン問題検証報告番組
[テレビ東京]
とみのよしゆき
Mr. Yoshiyuki Tomino
1941(S16)年11月5日 神奈川県小田原市生まれ
日本大学芸術学部映画学科(1963年)卒業
虫プロダクション(旧)出身
現在フリー
日本音楽著作権協会所属
1971(S46)年結婚 二女あり 趣味は素描
埼玉新座から東京杉並に転居

2009年ロカルノ国際映画祭名誉豹賞受賞

血液型 A型(著書によりAB型)
愛称 富さん

ペンネーム
井荻 麟(いおぎりん)、斧谷 稔 など

主な著書
「だから僕は…『ガンダム』への道」徳間書店刊
「『イデオン』ライナー・ノート アニメの作り方 教えます」徳間書店刊
「ターンエーの癒し」角川春樹事務所刊
「映像の原則 ビギナーからプロまでのコンテ主義」キネマ旬報社刊
「戦争と平和」徳間書店刊

経歴
富野由悠季総監督(1989年頃) 「来たるべき世界」をはじめとする手塚マンガに親しみ、少年雑誌を手本にしてペン画に熱中したり、中学時代には原田三夫の宇宙旅行協会に入会するなど、後年のアニメ演出家の"目"を感じさせる少年期を過ごしたのち、映像への興味を抱いて日大芸術学部映画学科へ進む。
 64年に卒業し、就職したのが虫プロダクション。半年ほど制作進行として働きながら、アニメの現場というものを監察。特に林重行(りんたろう)から学ぶところが多かったという。やがて演出部へ移り「鉄腕アトム」の後半2年間にわたって各話演出を担当。終了後、引き続き「リボンの騎士」のスタッフとなるが、手塚治虫の天才に依存せざるを得ない虫プロの体制に企業としての限界を感じ、67年退社。
 CM制作会社につとめるかたわら、東京デザイナー学院の講師もつとめる。しかし、収入は半減。見かねた虫プロの友人の紹介で、再びアニメの絵コンテを切るようになった。この時期、実写とアニメを合成したコマーシャル・フィルムを演出しているが、CM界の水に合わないと判断。1年で会社を辞め、フリーの"出戻り"演出家としてアニメの仕事に没頭していく。
 "絵コンテ千本切り"などと冗談めかして言われたのもこの頃で、虫プロ作品をはじめ膨大な数の、そして実に多種多彩なTVアニメの絵コンテを手がけた。それは生活のためでもあると同時に、アニメ監督としての、その作家性の基本となるのは絵コンテである、とする彼自身の信念による。この間に多くの同業者と仕事を共にしてきたことも、後の大きな支えになったようだ。
 こうした雌伏の時を経て富野喜幸(当時)の名が大きくクローズアップされてくるのは72年の「海のトリトン」あたりから。最終回で視聴者の意表をついたような善悪の図式の否定など独特の富野イズムが顔がのぞかせ始める。
 77年「無敵超人ザンボット3」に始まり「無敵鋼人ダイターン3」を経て「機動戦士ガンダム」へと至るサンライズのリアルロボット路線を開拓。おもちゃを売るためのスポンサード・アニメという制約を逆手にとり、きわめてドラマ性の強い作風を打ち出して、それまでの巨大プロレスというロボットアニメに対する偏見を打ち破った。
 それ以降の活躍はめざましくアニメ・ブームの立役者となり、一作ごとに新機軸を打ち出して、ある種カリスマ的な人気を得るに至っている。
 82年の「戦闘メカ ザブングル」より本名の喜幸を由悠季と改名。本項の記述は自伝的著書「だから僕は…」に一部基づいている。
 小説家として、さらに井荻麟のペンネームで自作の主題歌の多くを作詞するなど、多才を発揮。
(「日本映画・テレビ監督全集」キネマ旬報社刊)

 1964年虫プロダクション入社、すぐ手塚治虫の「鉄腕アトム」の脚本、演出を担当、デビューする。3年後フリーとなり、CM制作や東京デザイナー学院講師をするが水に合わず、再びアニメに戻る。TVシリーズ「海のトリトン」「勇者ライディーン」「ラ・セーヌの星」を監督し、注目される。自作の「無敵鋼人ダイターン3」「機動戦士ガンダム」「伝説巨神イデオン」「戦闘メカ ザブングル」「聖戦士ダンバイン」「重戦機エルガイム」を次々に監督。この間「機動戦士ガンダム」を映画化と活字化、「伝説巨神イデオン」をソノラマ版で刊行。その後「機動戦士Ζガンダム」(全5部)「リーンの翼」(全6部)を刊行。ロボットアニメ一筋に描き、その根底に人類愛が流れる。82年由悠季と改名。また井荻麟の筆名で主題歌の作詞も行う。小説の他、自伝的著書「だから僕は…」がある。
(「漫画家・アニメ作家人名事典」日外アソシエーツ刊)

監督関連書籍
「富野由悠季 全仕事」キネマ旬報社刊
「ガンダムの現場から 富野由悠季発言集」キネマ旬報社刊
「富野語録 富野由悠季インタビュー集」ラポート刊

別冊宝島129「ザ・中学教師 子どもが変だ!」JICC出版局刊
別冊宝島293「このアニメがすごい!」宝島社刊
月刊ニュータイプ7月号増刊「ニュータイプ マークU」角川書店刊

日本バトリング協会富野監督関係作品

1972(S47)年 テレビアニメーション 劇場アニメーション 「海のトリトン」 [UT]
1975(S50)年 テレビアニメーション 「勇者ライディーン」(前半) [YR] 長浜監督担当
1977(S52)年 テレビアニメーション 「無敵超人ザンボット3」 [MZ] ザンボット推進室
1978(S53)年 テレビアニメーション 「無敵鋼人ダイターン3」 [MD] ダイターン推進室
1979(S54)年 テレビアニメーション 劇場アニメーション 「機動戦士ガンダム」 [KG] ファースト(ガンダム)推進室
1980(S55)年 テレビアニメーション 劇場アニメーション 「伝説巨神イデオン」 [DI] イデオン推進室
1982(S57)年 テレビアニメーション 劇場アニメーション 「戦闘メカ ザブングル」 [SX] ザブングル推進室
1983(S58)年 テレビアニメーション オリジナルビデオアニメーション 「聖戦士ダンバイン」 [AD] ダンバイン推進室
1984(S59)年 テレビアニメーション オリジナルビデオアニメーション 「重戦機エルガイム」 [JL] エルガイム推進室
1985(S60)年 テレビアニメーション 劇場アニメーション 「機動戦士Ζガンダム」 [KG2] ゼータ(ガンダム)推進室
1986(S61)年 テレビアニメーション 「機動戦士ガンダムΖΖ」 [KG3] (ガンダム)ダブルゼータ推進室
1988(S63)年 劇場アニメーション 「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」 [KGC] (ガンダム)ダブルゼー推進室
1991(H3)年 劇場アニメーション 「機動戦士ガンダムF91」 [KGF]
1993(H5)年 テレビアニメーション 「機動戦士Vガンダム」 [KG4] Vガン(ヴィクトリーガンダム)推進分室
1995(H7)年 テレビアニメーション オリジナルビデオアニメーション 「闇夜の時代劇」 [YJ] ※高橋良輔、今西隆志監督と競作
1996(H8)年 オリジナルビデオアニメーション 「バイストン・ウェル物語 ガーゼィの翼」 [BG] ダンバイン推進室
1998(H10)年 BSテレビアニメーション 「ブレンパワード」 [BP] ブレン(ブレンパワード)推進分室
1999(H11)年 テレビアニメーション 劇場アニメーション 「∀ガンダム」 [KG5] ターンエー(ガンダム)推進分室
2002(H14)年 BSテレビアニメーション 「オーバーマン キングゲイナー」 [OK] キンゲ(キングゲイナー)推進分室
2006(H18)年 オリジナルビデオアニメーション 「リーンの翼」 [RT] ダンバイン推進室
2014(H26)年 テレビアニメーション 「ガンダム Gのレコンギスタ」 [KG6] Gのレコンギスタ推進分室