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日本バトリング協会安彦監督担当 監督紹介 | ||
安彦良和監督の経歴をご紹介します。 |
安彦良和 | |||||||||||||||||||||||||
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やすひこよしかず Mr. Yoshikazu Yasuhiko 1947(S22)年12月9日 北海道紋別郡遠軽町生まれ 国立弘前大学人文学科西洋史専攻中退(1970年) 虫プロダクション(旧)出身 1971(S46)年10月結婚 二男あり 埼玉県所沢市在住 1979・80・81・82年度アニメグランプリアニメーター第1位 1983年度日本アニメ大賞作画賞 1985年度日本アニメ大賞ファン大賞「シャア・アズナブル」「フォウ・ムラサメ」 第19回(1990年)日本漫画家協会賞優秀賞「ナムジ」 血液型 A型
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経歴 | |||||||||||||||||||||||||
幼少時より絵を描くことが好きで、郵便屋さんがもたらしたまんがの古本で、鈴木光明の「織田信長」、横山光輝「鉄人28号」を知り、自らもまんがを描くようになる。小学三年生のころのことで、その後、中学校、高等学校時代には、当時流行中の劇画を大学ノートに描き記したという。また、高校(道立遠軽高等学校)在学中に歴史に興味を持ったことから、国立弘前大学人文学科西洋史専攻に進学したが、1970(S45)年2月、大学紛争のあおりをうけて、卒業を目前に中退を余儀なくされた。同年6月、一緒に同大学を中退した現在の夫人(71年10月結婚)とともに上京、写真植字屋に勤務する。新聞の広告で虫プロダクションの「アニメーター見習い募集」を知って応募。十人の募集に百人の応募という難関を突破して合格、三カ月を虫プロ養成所で送る。同期に、後に異色まんが家として活躍する岡田史子がいた。 虫プロダクションでの初仕事は「さすらい太陽」で、設定助手と動画を担当。この後、「新ムーミン」「ワンサくん」の原画を描く。73年にフリーとなり、創映社(現・サンライズ)で、「ゼロテスター」の原画、演出を担当した。翌74年、「宇宙戦艦ヤマト」の演出ボードを担当した後は、75年には、ロボットアニメに革命をもたらしたといわれる「勇者ライディーン」で設定、作画監督を、さらに、自らの原案をもとにした「わんぱく大昔クムクム」では、設定、作画監督を担当して、旺盛な創作意欲をしめした。以降、76年「超電磁ロボ コン・バトラーV」(設定)、「ろぼっ子ビートン」(作画監督)、78年「宇宙戦艦ヤマト2」(シリーズ構成)、79年「機動戦士ガンダム」(設定、作画監督)、82年「白い牙 ホワイトファング物語」(設定)、84年「巨神ゴーグ」(原作、設定、作画監督、監督)等のテレビシリーズを手がけている。 劇場アニメーションとしては、80年「ヤマトよ永遠に」(演出ボード)を皮切りに、81年「機動戦士ガンダム」、「機動戦士ガンダムU 哀・戦士」、82年「機動戦士ガンダムV めぐりあい宇宙」の作画監督を担当した後、第1回監督作品として「クラッシャージョウ」を完成させている。この間、高千穂 遥氏の原作「クラッシャージョウ」シリーズのカバーイラスト、本文イラストを描いてイラスト界へ進出、また「アリオン」「クルドの星」などでオリジナルのまんが制作に手をそめている。さらに、「蒼い人の伝説」等で、小説家としても活躍を始めるなど、マルチ作家として注目を集めている。 まんが「ヴイナス戦記」を連載するかたわら、同作品の劇場用アニメーションを89年春公開。 (「日本映画・テレビ監督全集」キネマ旬報社刊) 全共闘運動にかかわり、開学以来の処分で教師になることを断念、大学を中退。上京して70年虫プロダクションのアニメーターとなり、「さすらいの太陽」「新ムーミン」「ワンサくん」などの原画・動画制作に参加。73年に創映社(現・サンライズ)に移り、TV「機動戦士ガンダム」シリーズ(79年〜)のディレクターとキャラクター・デザインを担当。その他設定・作画監督担当に「勇者ライディーン」「わんぱく大昔クムクム」「ろぼっ子ビートン」「巨神ゴーグ」など。高千穂遥の「クラッシャージョウ」シリーズでは、劇場用作品の監督のほか小説のカバーイラスト、本文イラストも担当した。79年「アリオン」(「リュウ」)で漫画家としてもデビュー、86年自らアニメ化し監督した。 (「漫画家・アニメ作家人名事典」日外アソシエーツ刊) |
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日本バトリング協会安彦監督関係作品 | |||||||||||||||||||||||||
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